母の表現欲求を考えてみました

もう今は誰も住んではいないのですが、母の建てた家屋の玄関を開けると、大きく引き伸ばされ額に入れられた写真が掛けてあります。母自身が撮った写真です。母が60代後半に撮ったものです。

母は60歳になった頃から「認知症防止だ」と言って、短歌、俳句、写真、南画など多くの表現に挑戦していました。その中でも母が好んでいたのは写真でした。短歌教室のメンバーたちと小旅行に行く際などには、必ず小型のカメラを持参しては、気に入った風景などをカメラに収め、写真店に行き、現像してもらい、気に入ったものを額装し、家の中に飾っていました。旅と小型カメラでの撮影は切り離せない、そういう感じでした。玄関の大きな写真は「万里の長城」の写真です。初めての海外旅行でした。やはり感動したのでしょう。その写真はそのスケールの大きさを表していました。決してプロのような一眼レフを使ったキレのあるものではありませんが、なかなか見ごたえのあるものです。そのような感動的なものや、美しいものを感じ取る感性が若々しかったのでしょう。母がどうして写真を撮ることに深い興味を持つようになったのかは定かではありませんが、想像するに、母の心に美しいもの、感動したものを記録したいという大きな欲求があったと思われます。あるいは発見の喜びから、「撮る」ことにある種の価値を見出していたのかも知れません。母は今年で93歳になりました。今の「表現」は、母の子供時代の運動会での応援歌や、母の兄が若き頃に母に教えた「いろは歌」などをノートに書きつけることです。表現欲求は、年齢の一つのバロメータなのかもしれません。

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